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  Kenny

Author: Kenny
DOB: 8月6日
アイルランド生まれ、
イギリス育ちの純日本人。
2005年・夏
ロンドン大学を卒業

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大きなロンドンに住む、小さな日本
ロンドンと言う、様々な文化が共存する街で、実家と言う、一つの小さな日本にて暮らす。これは、そう言った環境で育った自分の、どことなく風変わりな価値観や考えを紹介して行く、作品集です。
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「日の出」見物の特等席
世界で最も早い日の出は、この日本


「日の本の国」、と書いて日本国。我が母国の正式名称である。

その名の通り、地球上で最も早く日の出が見られるのは、日本らしい。
実際、イギリス人も日本の事を、「The Land of the Rising Sun」と呼ぶ。
しかし、この名前の選び方には、どうしても疑問が生じる。


一体、誰が、どうやって世界で最も早く日の出が見られるのが
日本だとわかったんですか??



その頃は、衛星も何もないのに・・


最も、今の世界の人々は日本の事を「にほん」ではなく、「ジャパン」と呼んでいる。
しかし、この「ジャパン」と言う名称は、日本人が発案したものではない。
外国人が勝手に名前をつけて、勝手に世界に広めたのだから、おかしな話である。

元々日本人は、自分の国の事を「神州」や、「大和」などと呼んでいたらしい。
しかも、これらは国名と言うより、むしろ地名である。
それなのに、中国人が勝手につけた

「日出国」(ジペンクオ)

と言う名称を耳にしたマルコ・ポーロ氏が、
自分の作品、「東方見聞録」で日本の事をXipangu(ジパング)と紹介してしまい、
それがいつの間にか世界に広まった、とのこと。
まぁ、お陰で、当時の日本国を構成していた沢山の小さな国の事を、
まとめて呼ぶ称号が出来たのも事実だ。

要するに、最初に日本を統一させたのは信長ではなく、
日本を一度も訪れた事がない外国人であった、と言う悲しい結論に到達する。

さて、そんな適当~~に決まってしまった名前が世界で定着して行く中、
日本は17世紀途中より、ご存知の通り、約200年間の鎖国体勢に入ってしまう。
そして1854年、ペリーの来日をきっかけに幕府は倒され、
明治時代の訪れと共に、日本は再び開国をする事になる。
そのきっかけを作ったのが、長州人。我が先祖である。

しかし、仮に、ペリーが鳥インフルエンザにかかり、軍艦は全て台風に追い返され、
日本がそのまま開国をしていなかったら、どうなっていただろうか。

次回、読者と共に考えて行ってみたいと思う。

(「知られざる、我が母国」の続き、「鎖国も八卦、開国も八卦」は、こちらよりどうぞ)



本日の語源:「面白い」

「面白い」と言う表現の語源に関しては、色々な説がある。
その中でも、最も有力とされている説を紹介しよう。

その昔、焚火を囲み、集団が談話をしている時は、一人一人が順番に立ち上がり、
自分の知っている愉快な話をする、と言う仕組みだったらしい。
そして、ある人の話が面白いと、全員が楽しそうに顔をあげて笑い、
その顔が、焚火に煽られ、普段の何倍も白く見えた事から、
この様に面白い話は、全員の「面(顔)が白くなる」話、と呼ばれる様になった。

そう言った談話から、「面白い」と言う言葉が生まれた、とされている。


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この記事に対するコメント

ペリー提督がバード・フルーにかかってたら、井伊直弼はきっと激しく同情しただろう。あのとき日本が開国していなかったら?「そのとき歴史は動いた」みたいなシリーズものですかこれは?ま、一緒に考えてみたい、倒幕側の視点から。
【2006/03/26 08:33】 URL | こもす [ 編集]

日本の国名
健一説は諸説のなかの一説だと思う。
日本の国名はもっと古い。聖徳太子が隋に送った国書に「日出処天子」または「東天皇」の言葉があると同じ気持で、やがて日本の国号が生まれ、大宝令でこれを対外的な国号と定めた。最初は「やまと」と読まれたが云々との説明が平凡社の百科事典に載っている。
奈良・平安時代は「ニホムjと発音され、室町時代からは「ニッポンと」呼ばれ今日に及ぶとある。明治憲法では大日本帝国、現憲法では日本国、昭和9年にニッポンを正称と議決したが、国家的制定はしてない、外国人の呼び方には諸説あり、云々、19671月初版、
1971発行、平凡社を参照されたい。でも良く勉強してるな。
日本で日の出を一番早くみれるのは九十九里浜、3年続けて1月1日に見た。
【2006/03/26 19:38】 URL | 國安輝久 [ 編集]


>こもす様

どうも、コメントありがとうございます!

井伊直弼は、それほどまでに情深い方だったのでしょうか?(笑)

「その時歴史が動いた」ですか?
大好きな番組ですが、あそこまで日本史を真面目に紹介して行く為の、
「知識」と言うものを、恥ずかしながら私は持っていません・・(--;

ちなみに、このブログのこれからの進行については、次のエントリーで書きます。
こんなに堅い記事ばかり書くつもりは全くありませんよ(^^)
でも、皆さんと一緒に考えていったり、意見交換するのが一番の希望ですね。

どうぞ、これからもよろしくお願いします。

>国安様

どうも、コメントを頂けて光栄です!誠にありがとうございます、そしてお久しぶりです。

コメントの方は、大変興味深く読ませて戴きました。
なるほど、中国人に名前を勝手に決められる前から、
日本国内でも自分の国の事を「日の出の国」と呼んでいた可能性もあるわけですね。
これからも、沢山の知識不足や間違いに対しての指摘を頂けたら、本当に助かります。

ちなみに勉強している、と言うよりは、記事の為に調べた、と言う方が正確だったりしますが・・
いつかは日常会話でこれだけの知識が出せる様になれるのだろうか・・

とにかく、これからもよろしくです!
【2006/03/27 01:28】 URL | Kenny [ 編集]

聖徳太子と日付変更線とジパング
ちょっくら、おじゃましまーす。
聖徳太子の偉大さと日本文化への貢献を否定する人はまずいないでしょう。
一万円札でもお世話になったし(ん?これはちがうか・・)。
それはそれとして・・・
聖徳太子が「日出処天子」と書いたのは単純に「世間(世界)知らず」だったからに違いないと思いますねぇ。聖徳太子ファンから袋叩きにされるかも知れませんが。

自分の住む町では太陽が毎日、なぜか(!)上がっていくのを見て、それが同じ太陽と思ったか、あるいは新しい太陽が毎日「製造」され、それが疲れ果てるようにドスーンと転げ落ちるように西の水平線に消えていくだべさ、と思ったかは本人に聞いてみるしかないが、 歴史の偶然というか、結果論というか、何と、大英帝国がグリニッジを「西と東の境」と勝手に決めてしまい、地球の180度反対側に日付変更線を勝手に引いてしまったことからホンマに日本は地球の一日が始まる地域に入ってしまったのだから聖徳太子の執念を感じる人もいるかも。 
ところで「ジャパン」とはなんぞやとブログ製作者によって説明されており、、そのとおり、中国語の発音からマルコポーロおじさんによってジパングとなったけれど、蛇足的に付け加えればそれは当時の中国南部の方言で発音されたものだったそうで、マルコポーロのおじさんが日本のことを中国の北部の餃子屋に入った時にでも聞きつけていれば日本の呼び名も違っていたかも知れないですな。






【2006/03/28 02:24】 URL | さすらいの餃子屋 [ 編集]


>さすらいの餃子屋様

どうも、初めまして。
最初、誰かと思いましたよ(笑)
サイト訪問とコメント、ありがとうございます。
「ちょっくら」とは又、古いですね(笑)

グリニッジが世界の中心である、とは大英帝国が勝手に決めたのですか?
だとしたら、正しく「英国人魂」丸出しですね。
今度調べて、記事にしてみようかなぁ。

とにかく、これからも、どうぞよろしくです!
【2006/03/29 08:43】 URL | Kenny [ 編集]

ちょっくら訂正
グリニッジから西と東が始まると大英帝国が勝手に決めた、というのは言い過ぎだったので訂正しますが、「公式」に1884年の国際会議でそれが決められたころの英国の強大さはそりゃ、大変なもので(別にこの目で見てきたわけじゃないけど)、政治力だけじゃなく、科学的水準においても抜群。グリニッジ天文台の水準も抜群。軍事力も経済力(英国ポンドが世界のKey Currency だった時代)も、いわば今のアメリカのような存在。その約100年前にドジを踏んでアメリカを独立させてしまったと言えどもまだまだ余裕しゃくしゃく。世界にはまだまだ自分たちの植民地がゴロゴロしていた時代だから。アメリカなんて1860年代にはまだ自分の国の中で南北戦争なんてやっていたのですからねぇ。
「そんじゃ、どこにする?」と会議で聞けば、「大英帝国様のグリニッジでお願いします」となるのはほぼ確実。 
このブログでペリーのことを書かれてるけど、ペリーが浦賀にやってきたのが1853年らしいから時代的に重なるのも面白いところ。
【2006/03/29 17:47】 URL | さすらいの餃子屋 [ 編集]


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